マサダ

canda, Kalia, 86935
マサダ マサダ is one of the popular Region located in canda ,Kalia listed under National Park in Kalia , State Park in Kalia , Salad Bar in Kalia ,

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マサダ(מצדה, Masada)は第一次ユダヤ戦争の遺跡で、イスラエル東部、死海西岸近くにある城址。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。歴史紀元前120年頃、死海のほとりの砂漠にそびえる切り立った岩山の上に建設され、後にヘロデ大王が離宮として改修した。山頂へは「蛇の道」と呼ばれる細い登山道が一本あるのみ、周囲は切り立った崖で、難攻不落と言われた。66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発した。70年、ティトゥスの指揮するローマ軍団によってユダヤ側の本拠地であったエルサレムが陥落(エルサレム攻囲戦)。エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた熱心党員を中心としたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもった。籠城側は兵士のみではなく、女性や子供も含まれていた。1万5千のローマ軍団が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も攻撃軍を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。敗北が確実となったある日、指導者たちは集まって今後の方針を協議した。抵抗を続ければ全員が殺され、降伏すれば全員が奴隷となるのが当時の習慣であった。73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り城内に突入する。ローマ兵は死にもの狂いの抵抗を予想していたが、意外にも防戦する者は1人もいなかった。奴隷となるより死をと、突入の前夜に籠城ユダヤ人は全員が集団自決していたのであった。ユダヤ戦記は穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと伝える。陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊され、長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人考古学者によって所在が確認された。ユダヤ戦争はマサダ陥落によって終結したが、マサダは現代ユダヤ人にとっても民族の聖地となっている。イスラエル国防軍はマサダで軍将校団の入隊宣誓式を実施し、イスラエル軍士官学校の卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱え、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。

Map of マサダ